「大人」と「子ども」が共に育む、風景としての子どもの遊び場づくり。

Photo by kawatamaico

この記事は、CforC2021の受講生がプログラムを通して感じた、自分自身の変化や願いについて書いた文章です。


CforCに参加したのは、今まで自分が関わってきた地域での子どもの遊び場づくりの活動を振り返ってみたいと思ったことがきっかけだった。

8年ほど、近所の公園で月に一度開催している子どもの遊び場の運営に関わっていたが、一昨年、コロナ禍の影響で行政からの補助金が減額され、年間の開催日数が、これまでの半分になってしまうという状況に陥った。

運営メンバーと打開策を探りながら、区長に陳情に行ったり、カンパを募ったりしていた。遊び場に来ている親子からは、たくさんの励ましの言葉ももらっていたが、なかなか手ごたえを感じられないまま時間だけが過ぎていった。

なぜここにこの遊び場が必要なのか
誰のために、何のために必要なのか

それを訴えようとしても、「子育て支援」という枠組みの中では、なかなか強力なフレーズが見つからない気がしていた。

今まで楽しんでやってきた活動だったけど、自分では大切なことだと思ってやってきた活動だったけど、いざピンチに追い込まれ、振り返ってみると、これといって目に見える成果が出せていなかったのではないか…
社会に何かを訴えるにはエビデンスが乏しいのではないか…
十分に説得力を持たせるには専門性や肩書がないとダメなのか…

子どもの味方でいたいとは思う。
でもたいして子ども好きという訳でもない自分…
ここで私が頑張る意味はあるのだろうか…
この場がなくなってもいいのではないか…

ネガティブな気持ちや反省、疑念が次から次へと湧いてきた。

そんな状況で半年ほど過ごしたときに、偶然にCforCのプログラムを見つけた。「子どもと自分と地域を大切にする市民性」という言葉にひかれ、参加してみることにした。


プログラムの1つである、リフレクションを重ねるごとに自覚されてきたのは、「子どもの力を信じたい」という自分の中の願い。「まずは自分が幸せでいることが大切」という自分の信念。

世の中の、時に過剰とも思える子ども達への教育熱やたくさんの情報に嫌気がさしていた自分。

子どもの将来も大切だけど、
大人がもう少し背中を見せることはできないのかな。
大人ももっと楽しんでもいいんじゃないのかな。
そんな気持ちが自分を地域の遊び場づくりにたどり着かせていた気がした。

CforCのゼミで特に印象に残っているのは、まちの風景と子どもがテーマだった回。講師の田北さんが、仕事で疲れた夜に海を眺めながら自転車で帰り道を走っていると、気持ちが少し軽くなったり、元気になる、というような経験を話されていた。

-風景に癒される-
 誰しもが経験したことがあるであろうことだけれども、子ども達だって風景からいろいろなことを感じ取ったり、癒されたり、勇気づけらたりするはずだよな、と改めて気がついた。
そして、ゼミの後の放課後の時間に、あるメンバーが、学校の帰り道に木に話しかけていた、ということを話してくれて、心底感じ入ってしまった。


大人はよかれと思い、いろいろなことを子どもにしようとするけれど、それも大切なことかもしれないけれど、子どもは子どもで自分に必要なものを見つけている、見つけられるのではないか。大人がそんなに頑張らなくてもいいんじゃないの、手放せるものは手放してしまえば…
そこから生まれる「余白」を大切にしてみたらどうだろう。

直接何かを与えることができなくても、ちょっとした大人の心がけさえあれば、子ども達は十分に大切にされるんじゃないかな、そんな気持ちが湧いてきたゼミだった。

ここまで書いて、心理学者、河合隼雄の「子どもの宇宙」の一節を思い出した。

この宇宙のなかに子どもたちがいる。
これは誰でも知っている。
しかし、ひとりひとりの子どものなかに宇宙があることを、誰もが知っているだろうか。それは無限の広がりと深さをもって存在している。
大人たちは、子どもの姿の小ささに惑わされて、ついその広大な宇宙の存在を忘れてしまう。
大人たちは小さい子どもを早く大きくしようと焦るあまり、子どもたちのなかにある広大な宇宙を歪曲してしまったり、回復困難なほどに破壊したりする。
このような恐ろしいことは、しばしば大人たちの自称する「教育」や「指導」や「善意」という名のもとになされるので、余計にたまらない感じを与える

10年ほど前に読んで感銘を受けて、ノートにメモしていた言葉だ。
まさにCforCのプログラムは、目の前の子どもをどうにかしようとするのではなく、「子どものなかにある宇宙の存在」を思い出させ、子どもを一人の人間として大切に扱い、子どもと共にあろうとするための認知の転換をじわじわと推し進めてくれたと思う。

このプログラムでは、誰かのためにではなく、「大人」と「子ども」が「共に」その場の風景を育んでいる場所(間)がどのようなものなのかということを、講義、オンライン上のワーク、あるいはフィールドワークなどを通して、理解を深めていけた。(体感したと言う表現の方が近いかもしれない。そもそもCforCのプログラム自体が「講師」と「参加者」、「運営スタッフ」と「参加者」。あるいは「参加者」と「参加者」が「共に」その場を作っているというプログラムだった。)

「自分が関わってきた地域の遊び場づくりは、まさにそんな風景の1つだったんだ」
プログラムが進むにつれ、そんな風に感じ、今までの自分が活動してきたことや、葛藤してきたことがとても愛おしいものに思えるようになった。

今では、『誰かのためにではなく、そして、何かのためにではなく、「大人」と「子ども」が「共に」という関係性』を大切にした場(間)づくりをライフワークにしていきたい、と強く願う自分がいる。それが、最終的にはお互いのWell-beingにつながることと信じて。

執筆:CforC2021修了生 よーちゃん

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