知識と自身の考えを深める機会、あともうひとつ。~大学生として参加したわたしが3年後に感じた「CforC」の価値~

この記事は、CforCの修了生がプログラムを終えて、感想や変化について書いた文章です。


 わたしが「Citizenship for Children」(以下、CforC)に参加したのは2019年。家出をした高校生の少年と弟とふたりで暮らす少女の姿を描いた映画『天気の子』が公開され、140億円超の興行収入を記録した1年でもある。

 大学生であった当時のわたしは1年間の休学から復帰し、その年の春から5年生として最後のキャンパスライフを過ごしていた。ただ休学する前にある程度の単位を取得しており、卒業論文を提出すれば大学を卒業することができる状況にあった。

 いつも一緒に授業を受けていた同級生はみな無事に卒業を迎えた。正直、なにかのアクシデントによって留年し共に最後のキャンパスライフを謳歌しようではないかという思いから、休学しながら友人の不幸を願っていた。大学生最後の1年間を少しでも有意義なものにできればと思い、わたしはCforCに参加した。

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新型の感染症が世界中を脅かす未来なんて知らず、人と人との密な交流が“よし”とされていた2019年。当時のわたしが参加したCforCプログラムでは、1か月に1度それぞれの背景をもつ参加者が集まり、午前中には「子どもの生きづらさ」や「アセスメントという視点」、「子どもの遊び」といった様々なテーマの講義を受ける。午後からはディスカッションも交え、子どもについての考えを深めていくというものが多かった。

 「“市民”として子どもと関わる」という答えのない問いを考えるため、講義によって考えるために必要な、もしくはヒントとなる視点を学ぶ。そして、それぞれの答えに近づくためにお互いの考えや思いを話し、自分が築きたい子どもとの“間”の解像度を高めていく。

 そのようなことを1年ほどかけてじっくり考え、深めてきた。たぶん。そう、“そのような”ことをしてきたのだ……と本稿を書いている2022年の今、当時を曖昧に振り返っている。

 もちろん、CfoCに参加していた際にメモ書きとして用いていたノートを押し入れにしまった段ボールのなかから探し出すことができれば、受講していた講義の内容とか、自身が記したポエムチックな振り返りなどを見返すなかで、CforCに参加していた当時の記憶を鮮明に想起することができるだろう。

 ただCforCに参加してから3年が経った今あのころを振り返り、真っ先に思い浮かぶのはもっとプログラムに関係のないようなことなのだ。

 午前中の講義と午後の振り返りの合間にお昼ご飯を食べながら交わした会話とか、長い1日を終え近くのカフェでスタッフとメンバーの数名でお茶をしたこととかーー。お子さんのいる女性の参加者さんがなにげなく口にした「LINEのグループやSNSがある日常を過ごす今の若い子たちは、少し大変そう」という言葉を今でもわたしは覚えている。

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プログラムが終了したあとも稀に参加者が集うチャットルームの通知は鳴り、その通知をタップしチャットを開けばお互いの近況を目にすることができる。小学生のころと比べ毎年届く年賀状の数が半分以下となったわたしに、参加者の方から年賀状をいただいたこともあった。この前はWeb会議ツールを用いてオンラインで顔を合わせた。今もCforCで得たつながりは、細くともたしかにつづいている

夢に僕らで帆を張って 来るべき日のために夜を越え

いざ期待だけ満タンで あとはどうにかなるさと 肩を組んだ

上記は映画『天気の子』の挿入歌「グランドエスケープ feat.三浦透子」の一説だ。新卒で入社した団体で子どもたちと関わることとなるわたしが最後の大学生活で得たのは、知識と自身の考えを深める機会、そして“市民”な方々とのつながりであろう。

 CforCに参加するなかで自身の帆を張り、夜を超えた。そしてCforCは肩を組ませていただくつながりを与えてくれた。ゆえにわたしは期待だけは満タンな新社会人になれたのだろう。そんなことをCforCに参加してから3年が経った2022年に思う。

執筆:CforC2019修了生 佐藤真都

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